
ペット病院のトラブルには、獣医療過誤、逃走や保定の過誤などの医療行為に付随するトラブル、説明義務や転院義務違反、ネット上の信用や名誉の侵害・業務妨害などの二次的トラブルなどがあげられます。
交渉(調停、弁護士会仲裁を含む)と訴訟による解決方法が中心となりますが、相手方に対する(初動)初期対応によってそれぞれの方向性に大きな影響を与えます(当HP「ペット問題の処方箋(初動の戦略とスキル)」参照)。
病院の獣医療行為の過誤を巡るトラブルですが、獣医療過誤には人間の医療過誤にはない特徴があります。
人間の場合は、物損と併せて被害者本人の慰謝料請求、将来の逸失利益や休業損害、親族の慰謝料請求などの人損の賠償請求が制度上用意されていますが、ペットの場合は、物損(ペットの購入価格の修正)と飼い主の慰謝料請求(後遺症や入通院慰謝料ではなく、飼い主の精神的ショックに対する慰謝料)に限定されます。
ペットは売買の対象となるので人間と同一視できません。人間が売買の対象になると「奴隷」になり憲法上許されません。そして、法令上、ペットは人間にのみ付与される権利義務の帰属主体(権利能力)となることができません。そのため、ペット自身が慰謝料請求をすることはできないのです。
人間の医療過誤の場合には医師の協力は得られやすいが、協力獣医を探すのは大変です。
医師の数、学術文献の質量、医師と弁護士の協力体制、専門弁護士の組織化、どれをとっても人間の場合と比べてペットの場合ははるかに劣っています。
人間の場合のリソース(訴訟資料や協力医師)が活用できれば良いのですが、裁判所は獣医療の学術文献に限定するので、リソースが極めて限られます。
証拠探しの苦労に直面します。
我が国ではペット紛争専門の訴訟手続きはありません。ペットの医療過誤の紛争を扱う場としては重武装すぎます。
最愛のペットを失った遺族からすると、怒りの代償を訴訟に求める感情になりがちです。
他方、最善を尽くした病院からすると、不当な請求には訴訟で潔白を証明したい感情になりがちです。
そのため、訴訟は重武装であることを承知の上で訴訟の選択肢を選ぶ方々がいます。
合理性の基準を経済性ではなく、感情や心情という主観的な基準に求めるのです。どちらの合理性も法律と心理を融合する当事務所には理解できます。
しかし、主観のバックボーンが「自分よりも大きな不利益を被告に与えたい」「原告は自分に重い負担のかかる訴訟などできるはずはない」という気持ちは紛争の解決ではなく紛争の拡大につながる危険があります。
当事者がそのことを十分に承知していれば、私は、訴訟の方向性で準備を進めますが、悩みやためらいが見られる場合には交渉や調停の選択肢を検討します。
交渉や調停は相手方に対する書面送付から開始されますが、その場合に注意しなければならないことがあります。
それは、本人の真意を相手方に合意による解決をした方が良いと思わせることです。
本人と弁護士の解決方針が異なる場合には、書面にまず本人の事実認識、感情、要求を十分に表現します。その上で、本人の了承を得た上で、最後に弁護士の解決方針を参考程度に付け加えます。
現在の気持は本人、最後に弁護士目線の将来の方針を参考までに付け加えます。
このことは30年以上の私の経験から生まれた技術であり、気がついている専門家や実践している専門家は寡聞にして知りません(ほとんどの通知書は本人の認識や要求を代筆するだけです。)こうすれば、相手方は最初から訴訟と身構えることはなくなり、本人の現時点での真意も忠実に表現することができます。
この技術を実践に使うようになってから、合意による解決率が飛躍的に上がり、訴訟を回避できるようになりました。
ちなみに、司法書士や行政書士などの弁護士以外の法律専門職は紛争に介入できないので、本人の言い分をそのまま伝えることしかできません。私の技術は弁護士の「特権」をフル活用しているともいえます。
当事者が訴訟による解決を望む場合や訴訟による解決が適切な場合には訴訟を選択します。
私は獣医療過誤訴訟は通常東京地裁の医療過誤部に提起します。
訴訟による解決の場合には次の事項が重要です。
訴訟は合意による解決とは異なり、当事者は自分の主張を裏付けるために証拠資料を提出しなければならず、提出できなければ負けます。
証拠資料は、A カルテや日記等の診断や治療に関する記録、B 獣医の意見書や学術文献、C その他、に分類され、特に、カルテ等の診断記録と学術文献は不可欠です。
意見書については、学術文献が質量ともに充実していれば、必ずしも必要ではないと考える裁判官もいますが、私は制約の多い中意見書を提出する努力をしています。
カルテ等の診断記録については、話し合いによる任意の開示(獣医の説明責任)、証拠保全(検証)、訴え提起後の任意または強制(文書提出命令等)の選択肢がありますが、事案と当事者の特徴によって使い分けます。
最大の問題は、人間の医学的文献は豊富にあるが、獣医学的文献は質量ともに限られているということです。
それでも裁判所は獣医学的文献に証拠資料を限定するので資料収集の努力が必要になります(獣医や研究者が人間の医学的文献を参考にしている実務があるので、もう少し柔軟に対応されても良いのではとは思います。)。
医療専門部の場合は計画審理がされます。ペットは人間の場合と異なり、訴訟提起前に(1)の訴訟準備が終わっている場合は「奇跡」といっても過言ではありません。
依頼者は準備不十分な状態でも早期の訴え提起を希望します。しかし、不完全な状態で訴えを提起しても弁護士が苦労することは目に見えています。
結局、弁護士は計画審理の意味も必要性も理解していますが、人間の場合とペットの場合の違いを裁判所と依頼者に説明して計画審理に反映してもらう努力が必要となります。
問題とする医療行為と問題とする損害との間の医学的な因果関係が説明できなければ、そもそも獣医の過失の問題に入っていけません。逆にいえば、この医療行為がされなかったら死亡時よりも長生きができた相当程度の可能性が獣医学的に説明できなければ訴訟はできません。
どのような医療行為がされたかはカルテ等を検証すれば良いですが、この医療行為のどこに問題があり、この医療行為がされなかったらどのような結果になったかは当時の獣医療水準(一般的な獣医がする医療行為)や医療水準に従った医療行為がされたらどのような結果になったかが判明されなければならず、そのためには協力獣医の専門的知見や意見書が必要となります。学術文献だけでは限界があります。
そして、実際に行われた医療行為に関して当時の医療水準が明確になれば獣医や病院の過失(注意義務違反)を明確にする事ができます。
その他、訴訟の場合の注意事項は多々ありますし、そもそも獣医療過誤訴訟の仕組みややり方については分量が多すぎ、専門的でもあるので、ここでは語れません。別の機会に委ねたいと思います。
獣医師にペットの診療を受けさせる場合は、獣医師と飼い主との間に診療契約が結ばれます。診療契約の法的性質は、獣医師が獣医学的な知識や技術による医療を提供し、飼い主が提供された医療の対価として診療報酬を支払うことを約束する事務処理委任契約(民法656条)とされています。
したがって獣医師は、委任契約の受任者として、善良なる管理者の注意義務(善管注意義務)をもって診療を行わなければなりません(民法644条)。
獣医師が故意または過失によってこの義務に違反した場合には債務不履行責任(損害賠償、契約解除)を負います。問題は具体的にどのような場合に獣医師の故意又は過失(善管注意義務違反)が認められるかです。
善管注意義務は、獣医師が悪い結果に対して全責任を負うという結果責任の規定ではありません。善管注意義務の内容、程度は、診療行為の時点の具体的状況下における具体的注意義務を問題とします。
獣医師が具体的注意義務違反を問われる場合は、まず平均的な獣医学のレベルにある獣医師の診療行為を想定し、その平均的な診療行為を下回るような低レベルの診療行為がなされた場合ということになります。ですから、獣医師の具体的診療行為の内容や平均的なレベルにある獣医師の平均的な診療行為の内容が問題となり、相当な能力を有する弁護士や獣医師による専門的知見が必要となります。
裁判例上獣医師の過失が認められた事例として、獣医師による帝王切開が失敗して母犬が死亡した事件(東地判昭43.5.13判時528-58)が良く知られています。この場合には獣医師が母犬の胎内にガーゼを遺留する等の過失によって過失が認定されました。
ところで、獣医師が善管注意義務を負うところから、獣医師としては、飼い主に対し、飼い犬の病状や傷害の原因・内容・予後、診療方針や内容、診療報酬等の費用等について十分に説明をして理解・納得してもらうことが重要となります。
特に、診療行為の危険性やそれに要する費用についてきちんと説明することがポイントです。獣医師が十分な説明をし、それを理解・納得した飼い主が診療や治療を依頼することがトラブル回避のための一番の予防策です。
今回からは動物病院の側からみた獣医療過誤事案の対応の仕方について日頃から気になることを書いてみたいと思います。
というのも、トラブルの拡大や深刻化にしかならないズサンな対応があまりにも目につくからです。これは飼養者側の対応のマズさに起因する場合もありますが、そのような場合への対応も含めて、病院側の対応を再考すべきではないかと思うからです。
ひょっとしたら、自分は間違っていない、相手は悪質なクレーマーだ、とか、どうせ相手は訴訟など起こすはずがないし、できない、などと思ってはいないでしょうか。
その考え方は大変危険であるということをこれから述べたいと思います。
なお、これから述べることは全て渡邉弁護士の実体験に基づくものです。
ペット産業が成長拡大するにつれて、飼養者や社会のペットに対する考え方やお金の使い方が変わり、飼養方法も変わってきました。
ペットは今も昔も家族の一員であるという飼養者の認識は変わりません。
しかし、家族が生活するのに必死の時代は、外飼いが主流、糧食は家族の残り物、不要のペットを捨てたり拾ったり、ペットの医療のためにお金をかける余裕のある家は多くはなく、ペット産業は未発達、小動物の獣医師は少なく、獣医師といえば馬や牛などの家畜が対象…といった時代でした。「ペットのためにお金をかけたくてもお金をかけられない」時代でした。
しかし、時代が進むにつれて、生活の余裕とは関係なく、ペットショップで血統書付きのお気に入りを購入し、室内飼いが通常となり、ネグレクトや捨て去りが厳しく禁止され、飼主の愛情表現としてペットの飼養や健康管理、終のお別れに至るまで積極的にお金を使うようになりました。
また、飼養者は、豊富なインターネット情報に容易にアクセスでき、身近の動物病院から有益な情報を入手することができるようになりました。
このような社会や飼養者の認識の変化は何を意味するのかというと、「納得の出来ないペットの死傷については妥協はせず、納得できるまで諦めない、そのためにはお金がかかっても仕方がない」と思う飼養者が増えてきたということです。
ペットは「物」ではありません、「家族の一員」、さらに「自分の分身」なのです。
このような飼養者の認識の変化を念頭におくと、先に述べた動物病院側の認識がいかに危険なものかが分かります。
「自分は間違っていない、相手は悪質なクレーマーだ、どうせ相手は訴訟など起こすはずがないし、できない」という認識のままだと、「飼養者の主張する事実は間違っている。病院の過失はない。法的責任はない。」という飼養者の心情を無視して対立関係をあおる、上から目線の回答書を送ることになります。さらに悪いことには、「お悔やみ申し上げます」、「心情お察し致します」などの飼養者側の気持ちを逆撫でするような事務的な言葉を付け加えたりします。私はこれを「三下り半」と呼んでいます。
特に、法交渉心理学の知見が十分にない弁護士が間に入ると、飼養者の純粋な気持ちが踏みにじられ、純粋な気持ちが病院や獣医に対する恨みや復讐の気持ちに転化することで単なるトラブルを深刻な紛争に拡大させ、泥沼の裁判状態に陥る危険が生まれます。
そうでなくてもインターネットが高度に発達した現代社会では飼養者側のSNS活動や社会活動が病院経営に悪影響を与える危険もあります。
多くの飼養者は裁判を望んでいません。
愛犬や愛猫がどうして亡くなったのか真実を知りたい、病院に改善をして欲しい、病院に謝罪をして欲しい、という純粋な気持ちを持ち、金銭賠償や法的解決は望んでいない飼主も少なくありません。
しかし、病院側の画一的な三下り半的な2次対応が災いして、飼主の感情を害し、損害賠償請求や裁判まで紛争をエスカレートさせるのです。
自分の子供の命を救うためにはお金はいくらかかってもよい、亡くなった子供にはお金はかかってもよいので立派な葬儀をしてあげたい、ならば、子供と同じ愛情を注いできたペットに対しても同じです。
病院の2次対応の失敗に対する飼養者の怒りが飼主の裁判に向けてのエネルギー(原動力)となってしまいます。
多くの飼養者は自分たちが経験した事実を多くの人に伝えるべきであるという使命感を持っています。
共感感情や自己承認欲求などではありません。
病院が2次対応に失敗すると、自分たちが経験した不幸を他の誰にも経験してほしくないという社会的使命から問題病院や獣医を告発するエネルギー(原動力)になってしまいます。
以上述べた通り、病院の2次対応の失敗が飼養者に強い対立感情を抱かせ、その対立感情がより強い対立的行動のエネルギー(原動力)となってしまうケースが後を断ちません。
この連載では、今後しばらくの間、病院側における正しい2次対応の処方箋についてご説明したいと思います。
前回は、病院の2次対応の失敗が飼養者に強い対立感情を抱かせ、その対立感情がより強い対立的行動のエネルギー(原動力)となってしまうケースが多いこと、それを避けるためには病院側は患者側に対する認識を改めなければならないことを述べました。それではどのように認識を改めれば良いでしょうか。
「患者側は〇〇だ!」という決めつけを止めることです。
患者側の病院に対する要望は多種多様であり、病院側との人間関係の様相も多種多様です。
具体的な交渉戦略や戦術を検討する場合には十分な情報に基づいた患者側の個性や特徴に応じた個別具体的な検討が必要となります。
大切なことは、病院側の要望と患者側の要望のマッチングです。病院側は患者側の要望をよく分析して対応しなければなりません。特に代理人がいる場合には代理人の説得の可能性が視野に入れられなくてはなりません。
私の経験上、「三下り半」的な対応をした結果、進むことも下がることもできず、交渉による合意可能性を自ら否定して、訴訟を招き入れてしまったケースが後を絶ちません。
患者側がいきなり法的責任を求めることは通常なく、きちんとした説明を求める場合がほとんどです。診療や施術の事前説明がなかったケースと圧倒的に多いのは説明が不適切であった場合です。
後者の場合、説明の仕方が問題となります。
言葉だけの説明では不十分な場合があります。客観性がないからです。カルテなどの診療記録を活用することが必要な場合があります。
ペットサロンやペットホテルなどの事故の場合には説明とあわせて事故の再発防止策などの将来の対応を質問される場合がありますが、病院の場合はこのようなことはなく、悪い結果になった理由を求められます。
ところが、この説明が患者側の知りたいことを避けたり、ごまかしたり、隠したりしたために患者側の病院に対する不信感がいっそう高まり弁護士や裁判所に持ち込ませることになります。
まず、獣医師側は患者側から説明を求められたら、
法的交渉心理学については、当事務所のHPの『法交渉心理学入門(連載)』をご参照ください。
渡邉正昭弁護士はこのような法的交渉心理学の研究と実践を長年続け、多くのペット問題を解決に導いてきました。
その間、たくさんの猫や犬を飼養し、ネコ語が分かる弁護士として紹介されています。
また、動物問題の専門弁護士として日本介助犬協会の役員を長年勤め、身体障害者補助犬法の成立、普及に長年従事してきました。
渡邉アーク総合法律事務所
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